平和で、お気楽な国だと記そうと考えてた矢先に、原子力施設の話を記したページを読み、自分の微少なる知識から、危機意識は感じながらも、呑気にしてられるような状態ではない、と思わせるだけの内容を読み、自分がしてきた事ではなくても、目を伏せ、口を閉じていた、って事は、知らなかった面、知るのは、難しい面を抜きにしても、今の日本を容認してきたような、無知の知、という事が、目から鱗が落ちる程、痛感して、暫く、何も気力が顕れ無かった。
何が果たして、為せるるのか...
見えて来ない。
そんな時、
やはり、ルッジャールミン ルーミーさんの詩に、救われる、のか、都合良く逃避してるのかもしれない。
しかし、且て、宗教関連作品で、私をこれほどまでに納得し得る、説得力のある詩と巡り逢うとは想像もしていなかった、深水の在る、稀有な詩家であり、詩を読んでいると、いつの間にか、アラーの神への信仰に向かってしまうので、そこは、バランスを保とうと、過ごしているが、改めて、井筒俊彦先生のセンスは、まさに先人の智恵を遺してくださった偉大な先生だと思い抱いた。
天才、というモノは、このような人を顕すのだな、とアルベルトアインシュタイン博士以来、感じた事は無かった。
アインシュタイン自体は、直接関与してなかった、とはいえ、フォン・ノイマンの核開発は、一度は容認してしまった、それが、彼の心には、深く刻まれていた、というのは、伝わってきている。
さて、現状の核施設、それらに関し、私には、何が為せ得るか、ここ数日、自問自答を繰り返している。
が、まだ見えない。
もっと考えに考える必要が在るのは間違いない、と。
何が果たして、為せるるのか...
見えて来ない。
そんな時、
やはり、ルッジャールミン ルーミーさんの詩に、救われる、のか、都合良く逃避してるのかもしれない。
しかし、且て、宗教関連作品で、私をこれほどまでに納得し得る、説得力のある詩と巡り逢うとは想像もしていなかった、深水の在る、稀有な詩家であり、詩を読んでいると、いつの間にか、アラーの神への信仰に向かってしまうので、そこは、バランスを保とうと、過ごしているが、改めて、井筒俊彦先生のセンスは、まさに先人の智恵を遺してくださった偉大な先生だと思い抱いた。
天才、というモノは、このような人を顕すのだな、とアルベルトアインシュタイン博士以来、感じた事は無かった。
アインシュタイン自体は、直接関与してなかった、とはいえ、フォン・ノイマンの核開発は、一度は容認してしまった、それが、彼の心には、深く刻まれていた、というのは、伝わってきている。
さて、現状の核施設、それらに関し、私には、何が為せ得るか、ここ数日、自問自答を繰り返している。
が、まだ見えない。
もっと考えに考える必要が在るのは間違いない、と。


