ちょっと、ニーチェというワードから、思索の旅を泳いだのを、記してみる。
日本人というのは、ニーチェの亡霊に囚われた人種ではないか?
と考察が浮かんだ。
というのは、ニーチェの思想の展開を時系列的に捉えたものに、日本人の状態を当て嵌めてみての考察であるが。
さもすると、ニーチェ程の展開に至らずの中途過程で停滞しているのではないか、と。
彼は、破壊と循環を余儀なく過ごす混沌を、跳躍した智恵として、突き抜けた人だったように僕は思う。
不協和音を、不調和でない世界へあの時代、状況において超越したの人ではないだろうか。
故にワグナーと決別していったのであろうかと。
日本人は、ニーチェがワグナーの不協和音を好んでいた状態の段階ではないか?
彼は、両親が神父関係の下に生まれたにも関わらず、1番密接な神を殺し、突き抜けた。
その上で、混沌のサイクルの螺旋を昇り続け、社会における一般人との思考から掛け離れた世界まで辿り着いたが、そこには誰も簡単についていけないから、循環の模索へ陥りつつ、西洋的思想の世界の中で泳いでいたように、僕は捉えてみた。
さて、日本人だが、戦後、神から解放され、生活基盤に染み込んだ仏教的東洋的思想と、資本主義というパワーポリティクスとの狭間で、混沌としている上に、自然や平和への回帰や希求する意識と、パワーによるお金という幻想に縛られ、欲する意識と、西洋人や、隣国には味わえない、複雑なカオスに陥っている状態なのではないだろうか?
それを顕すのが、双極性の精神構造の人が爆発的に増加しているところにみられる。
そこにみられるのは、見てみぬフリをする逃避的意識ではないだろうか。
まさに、ワグナーの悪キューレの奇行って感じだ。
ワグナーが、不協和音を発展出来なかったように、日本人も、この相対峙する混沌を混沌足る生き物である、と受容出来ないで、曖昧にごまかして生きているのではないだろうか...?
西洋諸国や隣国の大半の人達は、未だに不協和音にさえ気付かずに、エゴイスティックに過ごす事に何ら疑問を抱けないのであろう。
神や、洗脳する首脳陣の下に従い生きているのだから。
日本人は、この相矛盾するパラドックスを受け入れて、さらにどうすべきか?
を考える智恵は、備わっているが、使う智恵が、違う方向を向いているって事のように、僕は思う。
何とか出来ないのであろうか?
最近、ちらっと友達から聞いた話しだから、定かではないんだけど、今、西洋系大国では、ペットの掛け合わせをオリジナリティーなオーダーをブリーダーに飼い主側から依頼しているんだという。
それにより、トラブルが絶えないって話しを聞いた僕は、自分の地道な活動になんか意味を見出だせなくなってきた。
さらに、今じゃ、牛のクローンを食用で造るかって普通に議題になっている。
多分、許可されたら、偽造する業者が跡を立たず、そのうち大きな問題が起こり得るのが、容易に想像がつく。
元ちとせのアルバム『ハナダイロ』の一曲目、羊のドリー、を出来たら、聴いて考えて貰いたいと願う。
これを一曲目にしたのも衝撃的であるけど、僕の脳裏から離れない名曲であるのも間違いない。
今は旅立ってしまわれた、上田現さんの遺してくれた、素晴らしい意識を授けられ、元ちとせさんに委ねた重いメッセージだと僕は時折聴かずにはいられない。
どこまでも尽きる事のないご都合主義をこのまま続けて良いのか?
それで、心は落ち着くのか?納得出来るのか?
魅力的な環境や立場に日本人は今、在ると僕は、思うのだ。
様々な事もの同士をナナメ掛けして繋いでみたら、違う思考を感じられるのではないだろうか?
それが、結局、自分達を過ごし易くするのではないだろうか...?
最後に、「人間が復讐から解放されること、これが私にとって最高の希望への橋であり、長かった悪天候ののちにかかる虹である。」
by ニーチェ。
虹の橋がかかるのは、いつの日になるんだろうか...?
それとも、曇りに曇った空に虹は現れなくなるのか...?
逞しい人達が、蔓延る世の中ってのも、生き物としての強さだし、それが勝るのも、これも自然の摂理だが...
何とか出来ないか?
そもそも、自分たち自体もドリーなんじゃないか...
さもありなん。
動画が削除されて、歌詞しか、歌をアップするツールが無かったから、それを貼ってみる。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND42419/index.html
日本人というのは、ニーチェの亡霊に囚われた人種ではないか?
と考察が浮かんだ。
というのは、ニーチェの思想の展開を時系列的に捉えたものに、日本人の状態を当て嵌めてみての考察であるが。
さもすると、ニーチェ程の展開に至らずの中途過程で停滞しているのではないか、と。
彼は、破壊と循環を余儀なく過ごす混沌を、跳躍した智恵として、突き抜けた人だったように僕は思う。
不協和音を、不調和でない世界へあの時代、状況において超越したの人ではないだろうか。
故にワグナーと決別していったのであろうかと。
日本人は、ニーチェがワグナーの不協和音を好んでいた状態の段階ではないか?
彼は、両親が神父関係の下に生まれたにも関わらず、1番密接な神を殺し、突き抜けた。
その上で、混沌のサイクルの螺旋を昇り続け、社会における一般人との思考から掛け離れた世界まで辿り着いたが、そこには誰も簡単についていけないから、循環の模索へ陥りつつ、西洋的思想の世界の中で泳いでいたように、僕は捉えてみた。
さて、日本人だが、戦後、神から解放され、生活基盤に染み込んだ仏教的東洋的思想と、資本主義というパワーポリティクスとの狭間で、混沌としている上に、自然や平和への回帰や希求する意識と、パワーによるお金という幻想に縛られ、欲する意識と、西洋人や、隣国には味わえない、複雑なカオスに陥っている状態なのではないだろうか?
それを顕すのが、双極性の精神構造の人が爆発的に増加しているところにみられる。
そこにみられるのは、見てみぬフリをする逃避的意識ではないだろうか。
まさに、ワグナーの悪キューレの奇行って感じだ。
ワグナーが、不協和音を発展出来なかったように、日本人も、この相対峙する混沌を混沌足る生き物である、と受容出来ないで、曖昧にごまかして生きているのではないだろうか...?
西洋諸国や隣国の大半の人達は、未だに不協和音にさえ気付かずに、エゴイスティックに過ごす事に何ら疑問を抱けないのであろう。
神や、洗脳する首脳陣の下に従い生きているのだから。
日本人は、この相矛盾するパラドックスを受け入れて、さらにどうすべきか?
を考える智恵は、備わっているが、使う智恵が、違う方向を向いているって事のように、僕は思う。
何とか出来ないのであろうか?
最近、ちらっと友達から聞いた話しだから、定かではないんだけど、今、西洋系大国では、ペットの掛け合わせをオリジナリティーなオーダーをブリーダーに飼い主側から依頼しているんだという。
それにより、トラブルが絶えないって話しを聞いた僕は、自分の地道な活動になんか意味を見出だせなくなってきた。
さらに、今じゃ、牛のクローンを食用で造るかって普通に議題になっている。
多分、許可されたら、偽造する業者が跡を立たず、そのうち大きな問題が起こり得るのが、容易に想像がつく。
元ちとせのアルバム『ハナダイロ』の一曲目、羊のドリー、を出来たら、聴いて考えて貰いたいと願う。
これを一曲目にしたのも衝撃的であるけど、僕の脳裏から離れない名曲であるのも間違いない。
今は旅立ってしまわれた、上田現さんの遺してくれた、素晴らしい意識を授けられ、元ちとせさんに委ねた重いメッセージだと僕は時折聴かずにはいられない。
どこまでも尽きる事のないご都合主義をこのまま続けて良いのか?
それで、心は落ち着くのか?納得出来るのか?
魅力的な環境や立場に日本人は今、在ると僕は、思うのだ。
様々な事もの同士をナナメ掛けして繋いでみたら、違う思考を感じられるのではないだろうか?
それが、結局、自分達を過ごし易くするのではないだろうか...?
最後に、「人間が復讐から解放されること、これが私にとって最高の希望への橋であり、長かった悪天候ののちにかかる虹である。」
by ニーチェ。
虹の橋がかかるのは、いつの日になるんだろうか...?
それとも、曇りに曇った空に虹は現れなくなるのか...?
逞しい人達が、蔓延る世の中ってのも、生き物としての強さだし、それが勝るのも、これも自然の摂理だが...
何とか出来ないか?
そもそも、自分たち自体もドリーなんじゃないか...
さもありなん。
動画が削除されて、歌詞しか、歌をアップするツールが無かったから、それを貼ってみる。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND42419/index.html


